ピラティス氏との出会い:ロリータ・サン・ミゲェル来日WSニュースレター vol.2

JPA

2017年03月11日 21:20

ロリータ・サン・ミゲェル来日ニュースレター vol.2
ロリータ・サン・ミゲェルのご紹介:ジョセフ・ピラティスとの出会い

ニュースレターVol1 「ロリータ・サン・ミゲェルのご紹介:ピラティスとの出会い」をご覧いただきありがとうございました。


ロリータと公式な弟子の櫻井の対談の様子。貴重な歴史的事項をシェアしていただきました。

さて、何年もの長い期間、熱心にピラティスを習い続け、さらに500時間以上にも及ぶ指導者になるための修行に取り組みカローラ・トリエからの世界で唯一の認定者になったロリータ。

その後、いよいよジョセフ・ピラティスに出会うことになります。

ある日、カローラのスタジオでアシスタントをしていたキャッシー・グラントに、「ジョー(ジョセフ・ピラティス)のところに行こう!」と誘われました。

ロリータは、この一言にとても驚きました.。

なぜなら!!ロリータは、‘ミスターピラティス’はすでに他界しているものだと思い込んでいたからです!!

キャッシーは、あまりに驚いているロリータを連れて、すぐにジョーのところに向かいました。ロリータがジョーのスタジオに到着すると、可愛らしい顔で笑顔のジョーの妻クララが、ナース姿で立っていたそうです。そして、もう一つ奥の部屋にいたジョーにキャッシーが声をかけました。

そして、ついに登場したジョー!

ロリータはその時の印象を、「白髪で黒いパンツと白いタートルネックのシャツを着た、非常に個性的な人物だった」と話しています。

そして、今度はジョーから直接学ぶことになったのです。

ロリータとキャシーは、ニューヨーク州立大学の職業転換プログラムを利用し、ジョーの元での修行をスタートしました。そして、ここでもまた週20時間6ヶ月、520時間に渡り修行を続けたのです。さらにロリータは、ジョーの元で修行しながら、残りの時間をカローラのスタジオで過ごすというさらにハードな日々を送りました。

またジョーから直接、このメソッドへの想いや信念について多くのことを教えられました。

ジョーのスタジオには、妻のクララの他、ボブとハンナとうアシスタントがいました。ロリータは、主にジョー、クララ、ボブと一緒にワークをしたり指導を受けました。今回のワークショップでも、ジョーに指導を受ける中で直接「強調して」言われたことと、そこからそのエクササイズの意味を紹介して下さいました。そして、ジョーのスタジオにあったアパレイタス(マシン)の乗り心地や、ジョーは本当はダンサー出身ではなく男性的なボブにスタジオを引き継いで欲しいと思っていたことなど、貴重なお話をたくさんシェアして下さいました。

こうして世界でロリータとキャッシーの2名のみが、1967年2月2日ニューヨーク州立大学を通してジョセフ・ピラティスが考案したピラティスメソッドの公式な認定者となりました。

ジョセフ・ピラティスは、遺言書を残しませんでした。
このためジョーの死後はいろんな問題が起こったり、当時のことが伝言ゲームのように語られ、誤情報も多く出るようになりました。このような中、公式な認定者がいたこと自体が日本ではほとんど知られていませんでした。

ロリータの世界を魅了する素晴らしさは、何も「ジョーから直接認定を受けた」ということではありません。もちろんそれだけでも世界で稀な存在なのですが・・・
しかしそれ以上に、ロリータはいつも時代に関係なく、今日までピラティスを実践し続け、ジョーの情熱を受け継ぎ、発展させ続け、真髄と哲学を引き継いで世界を駆け巡っています。


このような体現者であることが、最も素晴らしく世界中からオファーが絶えない理由なのです。

今回のワークショップでは、ジョセフ・ピラティスの想いや当時の様子がたくさん語られました。
それらについては、また以降のニュースレターで触れていきたいと思います。

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