ロリータ・サン・ミゲェル来日ワークショップ:ニュースレター vol.1
ロリータ・サン・ミゲェル来日ニュースレター vol.1
ロリータ・サン・ミゲェルのご紹介:ピラティスとの出会い

2017年2月8-9日の二日間、日本で初めて開催されたピラティス指導者養成コースLolita’s Legacy™️の最終試験が行われました。
それに伴い、第一世代ピラティスティーチャー、かつジョセフ・ピラティスから公式に認定を受けた Lolita San Miguel(ロリータ・サン・ミゲェル)が、米国からPILATES BODY STUDIO(静岡県沼津市)へ来沼されました。試験終了後は2日間のワークショップも開催し、日本各地から訪れたピラティス愛好家の皆さんを圧倒的なオーラと存在感、そして深い情熱で魅了されました。この記念すべきイベントについて、数回にわたりニュースレターとしてお届けいたします。
ロリータ・サン・ミゲェルとは?
ピラティスとの出会い
ピラティスファンであれば、この名を聞いたことがある方は多いでしょう。ジョセフ・ピラティスに直接指導を受けた第一世代ピラティスティーチャーでありエルダーのうちの一人です。さらにそれだけではなく、かつてジョセフ・ピラティスから公式にピラティス指導者としての認定を受けた、2名のうちの一人(現在生きているのはロリータのみ)という特別な存在なのです。
ロリータは、1934年10月9日にニューヨークで生まれ、3歳の時に両親の祖国であるプエルトリコへと移りました。プエルトリコでダンスに魅了され、11歳の時にはスクール・オブ・アメリカン・バレエの夏季コースに参加するために再びニューヨークへとやってきました。しかし、なんとその4日後にお父様が亡くなられました。ですが、お母様が将来のロリータのダンスでのキャリアを考え、ニューヨークに残る決心をしました。その後、ダンサーとしてのキャリアを確実に重ね、1954年にはメトロポリタン・オペラ・バレエに入団し、ソリストにまでになりました。当時最大のスターだったドルフ・ビングと仕事をしたほか、多くの著名なダンサーたちと共演をしてきました。
ところが、舞台でのアクシデントがもとで1958年に膝の怪我に悩まされました。
その際に、レノックスヒル病院のヘンリー・ジョーダン医師の元へ連れて行かれました。そのヘンリー・ジョーダン医師が、手術をする必要はないが、ピラティスによりトレーニングをするように勧めました。
これこそが、現在まで59年間続けてきたピラティスとの出会いであり、長いロマンスの旅の始まりでした。
ジョーダン医師に紹介されたのが、カローラ・トリエのスタジオでした。カローラ・トリエは、ジョセフ・ピラティス(以下、ジョー)により指導された弟子の中で、最初にピラティスを指導した指導者でした。ロリータは、カローラのスタジオに通い始めてから3ヶ月後には舞台への復帰を果たしました。これは非常に驚異的な回復であり、ロリータはピラティスメソッドに夢中になりました。そして、ロリータは怪我から回復してもカローラのスタジオへ通い続けました。
ロリータが定期的に生徒になって通い続けてから、7年が過ぎたある日。カローラから「ピラティスの指導者としてのキャリアチェンジを考えてみたらどうか」と言われました。当時、ダンサーの世界ではキャリアチェンジというものは非常に難しいものでしたので、最初は驚きました。そして、ニューヨーク州立大学の後援を受けて毎週20時間、6か月の期間にわたって見習い生活に入りました。すでに7年もの間熱心にピラティスに取り組んでいた上に、さらにこの見習いとしての生活は500時間以上にも及んだのです。
こうしてロリータは、カローラ・トリエが資格を与えた世界で唯一の人物となりました。カローラの弟子は何名かいますが、カローラが自ら声をかけ、かつ認定を与えたのは後にも先にもロリータだけだったのです。
そしてその後、ジョーに会うことになります。
続く・・・・
ロリータ・サン・ミゲェルのご紹介:ピラティスとの出会い

2017年2月8-9日の二日間、日本で初めて開催されたピラティス指導者養成コースLolita’s Legacy™️の最終試験が行われました。
それに伴い、第一世代ピラティスティーチャー、かつジョセフ・ピラティスから公式に認定を受けた Lolita San Miguel(ロリータ・サン・ミゲェル)が、米国からPILATES BODY STUDIO(静岡県沼津市)へ来沼されました。試験終了後は2日間のワークショップも開催し、日本各地から訪れたピラティス愛好家の皆さんを圧倒的なオーラと存在感、そして深い情熱で魅了されました。この記念すべきイベントについて、数回にわたりニュースレターとしてお届けいたします。
ロリータ・サン・ミゲェルとは?
ピラティスとの出会い
ピラティスファンであれば、この名を聞いたことがある方は多いでしょう。ジョセフ・ピラティスに直接指導を受けた第一世代ピラティスティーチャーでありエルダーのうちの一人です。さらにそれだけではなく、かつてジョセフ・ピラティスから公式にピラティス指導者としての認定を受けた、2名のうちの一人(現在生きているのはロリータのみ)という特別な存在なのです。
ロリータは、1934年10月9日にニューヨークで生まれ、3歳の時に両親の祖国であるプエルトリコへと移りました。プエルトリコでダンスに魅了され、11歳の時にはスクール・オブ・アメリカン・バレエの夏季コースに参加するために再びニューヨークへとやってきました。しかし、なんとその4日後にお父様が亡くなられました。ですが、お母様が将来のロリータのダンスでのキャリアを考え、ニューヨークに残る決心をしました。その後、ダンサーとしてのキャリアを確実に重ね、1954年にはメトロポリタン・オペラ・バレエに入団し、ソリストにまでになりました。当時最大のスターだったドルフ・ビングと仕事をしたほか、多くの著名なダンサーたちと共演をしてきました。
ところが、舞台でのアクシデントがもとで1958年に膝の怪我に悩まされました。
その際に、レノックスヒル病院のヘンリー・ジョーダン医師の元へ連れて行かれました。そのヘンリー・ジョーダン医師が、手術をする必要はないが、ピラティスによりトレーニングをするように勧めました。
これこそが、現在まで59年間続けてきたピラティスとの出会いであり、長いロマンスの旅の始まりでした。
ジョーダン医師に紹介されたのが、カローラ・トリエのスタジオでした。カローラ・トリエは、ジョセフ・ピラティス(以下、ジョー)により指導された弟子の中で、最初にピラティスを指導した指導者でした。ロリータは、カローラのスタジオに通い始めてから3ヶ月後には舞台への復帰を果たしました。これは非常に驚異的な回復であり、ロリータはピラティスメソッドに夢中になりました。そして、ロリータは怪我から回復してもカローラのスタジオへ通い続けました。
ロリータが定期的に生徒になって通い続けてから、7年が過ぎたある日。カローラから「ピラティスの指導者としてのキャリアチェンジを考えてみたらどうか」と言われました。当時、ダンサーの世界ではキャリアチェンジというものは非常に難しいものでしたので、最初は驚きました。そして、ニューヨーク州立大学の後援を受けて毎週20時間、6か月の期間にわたって見習い生活に入りました。すでに7年もの間熱心にピラティスに取り組んでいた上に、さらにこの見習いとしての生活は500時間以上にも及んだのです。
こうしてロリータは、カローラ・トリエが資格を与えた世界で唯一の人物となりました。カローラの弟子は何名かいますが、カローラが自ら声をかけ、かつ認定を与えたのは後にも先にもロリータだけだったのです。
そしてその後、ジョーに会うことになります。
続く・・・・
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